もしも人生

個人的にどんな時に”もしも人生”を考えるかというと、想定外の良くない事が起こってから暫くの期間である。例えば病気になったり家族を失ったり。もう少し日常的なレベルだと試験や受験が上手くいかなかったり。受験では第一志望に合格しなかった場合の事は予めある程度考えるが、滑り止めの大学に行く事に決めてからはもしもを考えた。もしも受かっていれば、もしも病気になっていなければ。勉強不足は自分の責任だけど。病気に関しては完全に運が悪かったとしか言えない。 

正直”もしも思考”を完全に止める事は出来ないような気がしてる。ただ、考える回数や落ち込む回数を減らす事は出来ると思う。

第一志望じゃない大学に進学してからは、とりあえず何か行動してモヤモヤした気持ちを昇華させようとした。受かった人達に負けるか!何くそ!と言う反骨精神で。モチベーションとして良いのか悪いのかは分からないけれど、行動していくうちに”もしも人生”の想像できる道のりよりも実際の人生の道のりの方が長くなり、振り返れば”もしも人生”だったらやらなかっただろう事も経験できた。

つまり、割り切れない気持ちには一種の諦めのような認識をして軽く蓋をし、今の状況でやれる事をやることで徐々に“もしも人生”から解放されるのかもしれない。勿論そんな簡単に実行できる事ではなく、何年もかかる可能性もある。確かなのは今出来る事しか今は出来ないということだ。

“もしも病気にならなければ人生”に対して出来る事は、この経験をどう活かしていこうかと妄想することかもしれない。無理矢理に意味を付けて過ごして、何年後かに別の意味が見つかるかもしれない。あとで笑い話になるかもしれない。そんなことを考えてるうちにヤクルトスワローズが優勝するかもしれない。